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こんなにも読み終わることのできない本も、なかなかにない。
買ったのは確か去年の6月。
結婚のためのあいさつをするために沖縄の地へ向かい、那覇市にあるジュンク堂でこの本を買った。
知ったきっかけは中島智さんのツイートで、僕はそれまで川瀬慈という人類学者のことを知らずにいた。
『ストリートの精霊たち』と題されたその本は、中島さんのツイートで書影を見た瞬間にいい本だと直観し、そのうちに買おうと心にそっと決めた。
沖縄の地を訪れたのは高校の修学旅行以来のことで、朧げな記憶のなかにあった沖縄と、目の前にあたりまえのようにある現実の沖縄の相違とともに、むっとする空気のなかに包まれてあるあの感触は記憶のそれと同じで、僕は沖縄に帰ってきたのだという感覚をも味わっていた。
あの湿気の多い沖縄の空気こそがひとつ、沖縄という地を特別なものにしてくれる。この地上に生まれ落ちてなお、母の腹のなかにくるまれているようなぬくい温度の確かな感触。
守られているのだ。ひとは。
そう思った。
『ストリートの精霊たち』を読んでいると、一度も訪れたことのないはずのエチオピア、ゴンダールの地のことを懐かしく想う。
懐かしさという感情は閉じた個人の生に結びついたものではないのかもしれない。それは肌に直接泡が立つような確かな感触とともに訪れる具体的なものであり、それは個の記憶を超えたなんらかの普遍へと啓く秘密の鍵なのかもしれない。
僕はこの本を、もう何度手にとり、今日こそは最後まで読むぞと意気込みながら、結局その野望を断念し、静かにページを閉じてきたことだろう。
幾章にも分かたれてあるこの本の、ひとつひとつの章は短い。読もうと思えばすぐにひとつの章を読み終える。しかしどうしても、ひとつの章を読み終えるたびに本を置くことになる。
それほどまでにそのちいさなひとつの章のなかには、簡単に素通りすることのできない、重層的で豊かな現実の匂いと温度があるのだ。
僕は読むたびにその地を訪れて、切り切りにコラージュされた彼の記憶の断片を辿りながら、けっしてそのすべてを明かされることはない彼の地の現実と、この世界の豊穣を想う。
そして、人間というものは、捨てたものではないのだという、まごうことなき確からしさを、あらためて感じさせる。
僕はぼくがこの地を旅することのできる速度でこれを読む。
ようやく半分くらいまでは歩いてきた。
あと一年くらいでおわりまで辿り着くだろうか。
そうしたらまた、はじめからはじめたい。
そのようにしてともに歩くことのできる本というものは、人生のように、愛おしい。
『ストリートの精霊たち』川瀬 慈著
単行本(ソフトカバー): 204ページ
出版社: 世界思想社
発売日: 2018/4/20
梱包サイズ: 18.6 x 13 x 1.4 cm