「プルーストの作品に描かれている、ヴァントゥーユのソナタ「小品」は、シューベルトやワーグナー、フランク、サン= サーンス、そしてフォーレの作品から得たさまざまな印象の組み合わせである。
時間とは無縁のこのような融合は、異なった日付けのさまざまな出来事や小さな事件を現在という時間のなかに呼び出し、混合するという同種の手法と対をなすものである。
それに関してジャン・ルイ・キュルティスのすばらしい評言がある。
ー 「この『失われた時を求めて』という作品には、失われた時もなければ、見いだされた時もない。そこにあるのは過去もなく未来もないひとつの時、ほかならぬ芸術的創造の時があるだけだ。
それゆえに、『失われた時を求めて』という作品のなかの時間構造は、あのように茫漠とし、捉えがたく、あるときは伸びやかに広がり、あるときは短く結ばれ、あるときは円環をなしているが、線状に進むことは決してない。もちろん、正確な日付けが打たれることも決してない。
シャン= ゼリゼで遊ぶ子どもたちが、はたして輪遊びをする年頃なのか、こっそり煙草を吸う年代になっているのか、それもよくわからない」。
このように見てくると、無意識の記憶はただ単に、以前の情報を伝えてくれるけれども人がそれを再び生きることはできない意識的な記憶に対立しているばかりではない。
物語の織り目に無意識の記憶が介入することで、出来事の継承と時間の持続のなかで、その順序を完全に変えてしまう創作の手法が補償され、均衡を維持されるのである。」レヴィ=ストロース『みる きく よむ』
12月13日(月)晴れ
開店しました。今日も。
人類学者、レヴィ=ストロースの芸術論、
『みる きく よむ』の引用から始まりです。
レヴィ=ストロースは、
『野生の思考』を代表作として、
神話論理全4巻を刊行するなど、
構造主義と呼ばれる思考を
さまざまに展開し、深めてゆかれました。
『野生の思考』は、熊谷隼人さんの
好きな本のうちの一冊でもあります。
『文化のなかの野性』の著者である、
中島智さんも、芸術を学ぶ者の
必読書だと個人的には思っている、
と、言っておられました。
レヴィ=ストロースの思考の傍には、
いつも、音楽がありました。
世界各地の民族の神話を研究するにあたっても、
彼の真ん中にはいつも、
彼が幼少の頃から親しんできた
音楽という存在があり、
音楽の思考形態と
神話の思考形態とを
比較的にとらえながら、
神話論理を思考したりもしています。
『野生の思考』では、
かの有名な、「ブリコラージュ」という方法について、語られています。
仏語で、「器用仕事」などを意味するその言葉。
彼は、「栽培された思考」とは異なるものとして残り続けてある、人類の基層的な思考の方法としての、「野生の思考」に、ありあわせのものを集めて、組み合わせたり、変形したりとしながら、何かを作り出す「器用仕事」、「ブリコラージュ」を重ね観ました。
素材たちには、それぞれの「時間」というものがありますが、それらの「時間」たちを組み合わせるような、プルーストの文学の手法には、ブリコラージュ的な方法がある。
そして、それらの異なる「時間」たちを超えた、歴史的な時間とは異なる「非時間」、「芸術創造の時」のことを、レヴィ=ストロースは、冒頭に引いた引用部分で、語っておられます。
これだけ書いても、なんのことやら、
と、思われるかと思いますが、
とりあえずこの本、
とても、おすすめです。