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浦河に着いたその日から、"死にたい病"は神通力を失っていくかのようだった。
ここでは、死にたいといっても薬は増えない。入院させてもくれない。深刻な話をしているのに、みんな笑っている。
それどころか患者が「病気は宝」、「勝手に治すな、その病気」などといっている。
先生も「死にたいっていわれてもわからない、ここじゃ浦河弁をしゃべろうね」と謎めいた言い方をする。
わざわざ北海道まできたのに、この切迫感のなさはなんなのか。
とまどう一方、はじめからはっきりしていたのは、浦河ではだれもそんな自分を拒否していないということだった。
「死にたい」といっても、あわてることもなく、死ぬなというわけでもなく、そのままの自分をみんなが受け入れてくれている。受け入れるだけでなく、話も聞いてくれるし、仲間の輪のなかにも入れてくれる。
それは不思議な安堵を覚える経験だった。
やがて気がつけば、いちばんの友だちだった死神さんは元気をなくし、リストカットも止まっている。
病気の苦しさがやわらぎ、愛知県にいたころにはけっして感じることのなかった解放感と幸福感が、じわじわと自分を満たすようになった。
斉藤道雄『治りませんように べてるの家のいま』みすず書房 2400円+税
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北海道浦河郡浦河町の、精神障害者を中心とするグループである、「べてるの家」にまつわる本です。
高野雅夫先生の、『自然の哲学』にも登場する、参考文献の1冊。この本、本当に、素晴らしいと思います。病というものは、いったい、なんなのだろうか。精神障害に苦しむ方々のその生の声と共に、「べてるの家」という特殊な場所で、人と人との間で取り行われている、ある関係。その関係による〈治癒〉の過程。人の心の不思議。死にたいという衝動の薄れ。そのままの自分を認めること、幻聴に「さん付け」すること、「治そう」などとは、しないこと…。
「病」というものが実際に存在し、それは「健康」や「健全」や「普通の状態」の反対であって、「病」というものは「悪」だから、「治さなくてはならない」と考えている方々には、ぜひいちど、この本、そして、「べてるの家」にまつわる本たちを、読んでみてほしいなあと、思います。
そしてそれは、「精神障害者」なんて、私には関係ないわ、という話ではないことにも気づかされるのではないか、と思います。
「病の有無」に限らずに、私たちひとりひとりがこの星で、それぞれの「自然体」を生きること、そのことをよく考えさせてくれる本だと、私は思います。