other
















「春光呪詛」を催してくれた世菜さんのzineです。表紙はひとつずつ違います。中身は同じ。web shopからはどの表紙かは、選べません。ご了承ください。
✳︎以下は、以前に読み書いた紹介文✳︎
世菜さんという方が、福岡にいます。
彼女のことを知ったのは、Twitterでのことです。
ある時に僕のTwitterをフォローしてくれて。それでなんとなく彼女のTwitterを観に行き。ふと観て。ああ信頼できる方だなぁ、と、直観したのでした。
彼女がZINEを作っておられたのを観ました。それでそのZINEのことがとても気になり。彼女に訊いてみることにしました。完売とのことですが、うちでお取り扱いをさせていただくことはできませんか。と。そういうことを DMで訊ねました。
このZINE。すごいのが、いろいろ全部すごいのですが、表に彼女が描いた絵の原画を破ったものの一部が貼ってあるんです。右側のところ。絵の具の盛り上がりまでを含めて。原画そのまんまで。彼女は絵も本当に素晴らしいんです。命をそのままに投げつけたかのような、そんな情動。喰らい尽くすかのような。なにかを殺しそして生かすかのような祝祭の痕跡そのもののような血の臭いと太陽の匂いのする絵。
今回、うちに新たにお取り扱いをさせてくれるということで、それにあわせて、増刷してくれたのです。絵も新たに描いて。こんなに有難いことがあるだろうかと思ってしまいます。
彼女のZINEを初めて読んだ時に、僕がTwitterに流しだすように書いた言葉を、紹介文を新たに書く代わりに、引用します。
✳︎✳︎✳︎
…今しがた、ようやくこのZINEの最後のページを閉じた。なにかを読み、こんなにも打ち震えたのは、いつぶりのことだろうかと振り返る。全部があると感じた。全部。全部ってなに。もちろんここに書かれたのは彼女の生のごくごく一部である。しかし、全部。まっさらにぜんぶがある
ぜんぶ。それは、彼女がおのれのすべてを賭して書いているからこそ現われるものだ。これはどう足掻いたとしても、何十年何百年これを僕が書こうとしたとしても僕には書くことはできない、ものすごくはっきりとした生の横溢。それは僕と彼女が別の生の個体なのだから当たり前なのだけれども、
その当たり前を言葉においてこんなにもまざまざと知覚させてくれるところに、彼女の文章の、ほんとうに素晴らしい資質…そんな当たり前な言葉すらも超越してゆく、いわく言いようもない、〈生〉が在る。こんなにも素晴らしい書き物がこの世に在るのだということに僕は震えている。驚かされている。
書くこと、描くこと、掻くこと、…ZINEの右手にあたるところに貼られた彼女の絵の原画の凹凸。その事物の生々しい物質性につねに指先で触れながら文字を読む体験もまた、僕に新しい世界を開かせてくれた。傷口に触れ続けるかのような指先のかすかな痛み。そして全身に駆け巡るものたち。
彼女が食い、貪るようにして共に生きてきたものたち。彼女を作り続けてきてくれたものたち。さまざまな存在たち。僕は勝手に感謝してしまう。ありがとう。ありがとう。彼女を生かしてきてくれて、彼女を成してきてくれて、彼女が彼女であることを作り続けてきてくれて、どうも、ありがとう。
言いようもない感謝の念が湧き起こる。これは、確かすぎるほどに確かな悦び。生の悦び。明るく暗くおそろしく、途方もなく確かに生きてある身体だけが発することのできる充実。ここで生きてきた。生きている。今も。ここに。かくこと。それは、生きることでありうるのだと、はっきりとこれは伝える。
✳︎✳︎✳︎
読み終えた僕は、彼女の文に宿る彼女の肉体と魂そのもののようなその文に突き動かされるようにして、こういったことを書いていました。
こんなにも誠実で切実な書くこと、描くことの営みがあるだなんて。
僕はこの本をうちの店でぜひとも売っていきたいと、今、強く思っています。
増刷ごとに、冊子の表の絵はすべて違うものになります。1冊として同じ装丁のない書物。
そしてこの書物を、僕は、文を言葉を絵を芸術を生きる方々にふれてほしいと思う。こんなにもまっすぐに生き書いて描いていいのだと、そのあり方にふれてみて欲しいのです。
そういう本は、多くはないから。
そしてそういう本は、
あんまり売れなかったりするけれども。
だから僕はこの世菜さんという方のいのちのかたちを、うちの店で、売っていきたい。そう思っています。
そして彼女のように誠実で切実なものを生きる方が、それを抑圧してしまわないように。生きられてあるものがそのままに生き生きと現われてくるようにと。願ってしまうのです。
僕とみきてぃの心からのおすすめの1冊。
『あなたを食べて生きてきた』
世菜
2200円税込(値段が変わりました)
ぜひ。
よろしくお願いします。