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石が書く

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 ロジェ・カイヨワの集めた石コレクションをもとに彼が石と様々な物事を交えて語る書物であるこの『石が書く』を、久しぶりに再入荷です。復刊されるまで古書でかなりの値段がついていた。こうして復刊されたのは、とてもありがたく、うれしい。    ✳︎    石の内部。  そこにある模様。  石の形。    どうしてこうも、石を観ていると、気持ちが落ち着くのか。と、何度か考えてきたが、今も明確な理由は、わからない。ただ言えるのは、石に同期する時、僕はある種の〈死〉のなかにいられること。それは人間の熱から離れたところにある沈黙と静寂と、そして生きていることのよろこびというよりも、生きてはいなくてもよいよろこびというものを、僕の身に感じさせてくれる。そういう意味では僕のなかでは、石と死とは繋がる。音も似てるね。    ✳︎    僕の絵画にはひとつ石というカミサマのようなものがあるように、前々から思っているところがある。カミサマというかオイシサマとでもいうのか。知らないけども。石の模様は僕のなかではおそらく絵の原イメージ的に在る。それは否応なく僕のことを魅了するものであり、何度観ても飽きることがない。石の形態や表の質も好きだけれども、カイヨワが集めたようなこういう石の魅力には僕のなかでは到底及ばない。ここには意志がない。石と意志。石には人間的な意志がないのが僕にはとてもよい。長い年月のなかで様々な地層やそういう土の下などの環境から、自然というかたちが生まれる。それを僕は絵の中でも考えているところがある。僕という人間でありながらも僕を超えた運動のなかでいかなる模様が絵として生まれるのか。なども。    オイシサマはいつも素晴らしくおもしろいものを見せてくれるのでとても好きだ。それは生きる気力を無くさせてくれるから楽でいい。人間的なやる気を排除したただ存在することのうちにある、人間的な眼には不動と見えるものが産み出すかたちに同期する時、僕は身体がよろこぶ。それはとてもしずかなうただ。    ▪️出版社紹介文    長らく入手が困難であった名著を新訳で刊行  風景石、瑪瑙、セプタリア(亀甲石)など、特異な模様をもつ石。それらは人の想像力にどう働きかけてきたのか。石の断面の模様と、抽象芸術作品が交わる地点はあるのか。聖なるもの、遊び、神話、詩学、夢といったテーマを縦横に論じてきたカイヨワが、自らの石コレクションをもとに、「石の美は、普遍的な美の存在を示している」と論じた、他に例を見ない論考。1975年に新潮社から翻訳が刊行されながら、長らく日本語では入手困難であった美しい名著を、新たな翻訳で刊行。  目次    石のなかの画像  あばら屋石  夢の石  セプタリア  ジャスパーと瑪瑙  石の書法―世界の構造  トスカーナの石灰岩  生命の参入―別の書法  注記  図版一覧  原注  訳注  本書掲載図版についての補足(山田英春)  訳者あとがき    [著]ロジェ・カイヨワ(カイヨワ,ロジェ)  フランスの文学者・批評家。1913年ランスに生まれる。シュルレアリスト・グループとの短い交流ののち、1937年にバタイユらとともに「社会学研究会」を設立。1952年にはユネスコが発行する国際的な学術誌『ディオゲネス』を創刊して編集長となる。『神話と人間』(1938)からはじまる著作のテーマは、神話・聖性・遊び・戦争・幻想芸術・夢など多岐にわたり、「知の巨人」と称される。遠く離れた領域の知を結びつける方法論「対角線の科学」を提唱した。邦訳書に『人間と聖なるもの』『夢の現象学』『遊びと人間』『メドゥーサと仲間たち』『戦争論』『幻想のさなかに』『イメージと人間』『反対称』『蛸』『アルペイオスの流れ』などがある。1978年没。 [訳]菅谷 暁(スガヤ サトル)  1947年生まれ。東京大学文学部仏文学科卒業。東京都立大学大学院仏文学科博士課程退学。科学史・文学専攻。訳書にセリーヌ『ゼンメルヴァイスの生涯と業績』(倒語社、1981)、コイレ『ガリレオ研究』(法政大学出版局、1988)、ビュフォン『自然の諸時期』(法政大学出版局、1994)、ゴオー『地質学の歴史』(みすず書房、1997)、ラドウィック『太古の光景』(新評論、2009)、『化石の意味』(共訳、みすず書房、2013)『デヴォン紀大論争』(みすず書房、2021)などがある。

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