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シュテファン・バチウ ある亡命詩人の生涯と海を越えた歌/阪本佳郎

4,950円

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頁数:654頁(カラー口絵8頁) 定価:4500円+税 ISBN:978-4-910108-16-2 C0098 装丁:宗利淳一 2024年4月14日発売 閉塞する時代に詩はあるか、旅はあるのか ​ バチウは、詩が自由と真実、行動、そして革命であることを信じて疑わない ​ 世界をさまよう宿命を背負った詩人バチウの生涯と、大洋を越えてひろがる詩の連帯の〈世界文学〉をあきらかにする、本格評伝! ​ ​ ルーマニアからスイス、ブラジルはリオデジャネイロ、ラテンアメリカをへて、シアトル、そしてハワイはホノルルへ――。 そのときどきの政治状況によって生を危ぶまれ、自由と真実をもとめ闘いながら、生涯を誠実な言葉とともに旅すること(亡命)を選んだ詩人バチウ。太平洋の離れにある群島から、海と大陸をこえて世界のあらゆる土地の詩人や作家、芸術家たちを結び、詩にもとづく連帯のネットワークを織りあげた。 詩誌「MELE」(ハワイ語で「詩や歌、祈り」)は、国家や民族の境界に隔てられるはるか手前で、一人ひとりがその生を凝集した言葉を交わしあってできたもの。詩の贈与交換をもとにした小さき〈世界文学〉が、知られざる海にひろがっていた。 世界の周縁に生きた彼を知るものはもはや数少ない。日本に数名、世界を見渡してもごくわずか。しかし彼の成し遂げた仕事の数々は、分断と衝突に満ちた私たちの時代へ、忘れてはならないことを教えている。 本書は、詩人の生きた土地々々へ実際に足を運び、散逸した資料を集め、知人や友人への聞き取りを合わせて研究した成果である。温かみある詩的文体でその生涯と広大にひろがる詩のネットワークを精緻にたどった、世界で初めてのシュテファン・バチウ評伝。 第一部は、ルーマニアからハワイにいたる道行きのなかで失われた時、土地、人々への〈郷愁〉”Dor, Saudade, Aloha”を描きながら、つねに詩とともにあったその生涯を緻密に追った心にせまる伝記。 第二部は、バチウの膨大な業績のなかでもとりわけ重要な詩誌「MELE International Poetry Letter」に焦点をあてる。 その世界大の詩の連帯のネットワークに参加した詩人たちの作品を具体的に取り上げ、それぞれの土地の文学や政治にいかなる価値をもったのかあきらかにする。多なる世界の言葉がひとところに響く複数性の場としてMELEを描きだす。 〈MELE、太平洋は蒼海の彼方に浮かぶ群島から、世界へむけて差し出された手紙――その差出人にも宛名にも、詩が自由と真実、行動、そして革命であることを信じて疑わない、すべてのものたちの名が記されてゆくであろう手紙。そして銘々の渚に立ち、我々は歌う〉(「MELE」のマニフェストより) ​ ​ 【目次】 手紙Ⅰ 序 第一部 追想的評伝――シュテファン・バチウの詩の生涯とその〈郷愁〉  第一章 追想的評伝――「潮の泡はここにたたずみ」Aquí yace la espuma  第二章 ルーマニア――ブラショフ一九一八―一九三七  第三章 ルーマニア――ブクレシュティ一九三七―一九四六  第四章 スイス――ベルン一九四六―一九四九  第五章 ブラジル――リオデジャネイロ一九四九―一九六二  第六章 アメリカ――シアトル一九六二―一九六四  第七章 ハワイ――ホノルル一九六四―一九九三 手紙Ⅱ 第二部 『MELE 詩の国際便』とシュテファン・バチウの「詩の親密圏」  第一章 自由・真実・行動・革命のうた  第二章 オウィディウスの末裔たち――ヴィンティラ・ホリア、アンドレイ・コドレスク  第三章 ウルムズの「寓話」のもとで――ミラ・シミアン・バチウ、ヴィクトル・ヴァレリウ・マルティネスク  第四章 シャルロ父子のハワイ――島と海と人への憧憬、交感の記憶  第五章 言語が再び芽吹くための種――ラリー・カウアノエ・キムラのハワイ語詩  第六章 抗う詩、交わされる霊性――トマス・マートン、パブロ・アントニオ・クアドラ  第七章 リオデジャネイロへのアロハ、路上の石に秘めたサウダージ――カルロス・ドゥルモン・ジ・アンドラージ、バッハ・マイ・ファム・ラーション  第八章 群島を行き交う希求の手紙 手紙Ⅲ 結びに代えて 〈付録〉オマージュとしての翻訳『千を超える四行詩――トゥンパ山の麓、ホノルルから』序文 イオアナ・マルジネアヌ・バチウ 注 謝辞 シュテファン・バチウ著作一覧 主要引用・参考文献リスト ​ ​ 【書評サイト「ALL REVIEWS」に著者がよせた本書の紹介文】 ​ 〈世界文学〉ネットワークの結節点を担った亡命詩人の知られざる足跡 ​ シュテファン・バチウの生涯 バチウは1918年、ヨーロッパの辺境たるルーマニアはトランシルヴァニア地方の古都ブラショフに生を受けました。わずか17歳にてルーマニア王家の主催する文学賞を受賞、戦間期の若き世代を牽引する詩人となり、将来を嘱望されていましたが、歴史の苦難から祖国を後にし、遥かな彷徨の旅に出たのです。戦後共産主義の抑圧的体制に身の危険を感じ、スイスへと脱出、その後大西洋を難民として渡りブラジルへ移り住みました。ときに詩人、翻訳家、アンソロジスト、ジャーナリスト、あるいは外交使節としてラテンアメリカ各国を旅し、ひろく新聞や文学誌と協力して各国の軍政や独裁政権を糾弾する論陣を張りました。 1962年にシアトルのワシントン大学にラテンアメリカ文学の客員教授として招聘されますが、折悪しく、ブラジルはクーデタにより軍政の手に落ちます。ルーマニアに続いて、ブラジルにも帰還できなくなったバチウは、ときを同じくしてハワイ大学に招かれ、今度は太平洋を渡りホノルルへ。それまで旅した土地々々にて出遭った作家や詩人、芸術家たちをつなぐ海と大陸を越えた詩を基にした連帯を、太平洋の群島から呼びかけました。1989年、ルーマニア共産党政権は倒れますが、詩人は二度と故国の土地を踏むことなく、1993年に太平洋の群島にて客死しました。 国家や民族の大きな歴史ではなく、小さき人々の物語に寄り添う文学 国家や民族といった大きな枠組みに基づく“情報”分析から、情況が善悪や敵味方の二分法で安易により分けられる。そこから分断や排除、衝突が生まれ、ともすれば暴力や戦火まで肯定されうるような今日の時代状況にあって、バチウの詩学から学びかえりみるべきところは大きいと思います。 「すべての闘いに敗れても日毎ただ勝ちとるもの、それこそが『詩』」。 友であったオクタビオ・パスがバチウに贈った言葉です。バチウは、敏腕の国際政治記者でありながら、国家や民族といった集合的規範、イデオロギーの大きな言説をめぐる諍いには加担せずに、絶えず目の前にある具体的な人々や出来事について書きました。 その主たる自伝に『太鼓に舞い散る埃』というものがあります。歴史の行軍にて叩かれる太鼓に弾き飛ばされ散ってしまう、埃のごとく小さく儚い人間の生を、バチウは、自らの詩の圏域において証しようとするのです。たとえ自伝であってもそれは、自らの境遇に腐心する自分語りからはほど遠いもの、かけがえのない「他者」のことを言葉にして留め、そのささやかな日常をこそ恩寵として歌う詩でした。自身、災厄に見舞われるたびに喪われる時や土地、友情を交わした人々に想いを馳せ、深き〈郷愁〉とともにそれらの記憶を刻印していくことに、バチウの文学の本領がありました。 シュテファン・バチウの詩や回想録などの文学作品は「手紙」のようなささやかさ、親密さを基調としたもので、発行部数も少なく、大規模に流通するものではありませんでした。そのため、地球上のいずれの土地においても、ほぼかえりみられることはありませんでした。その無名性はまた、ルーマニア、ラテンアメリカ、そしてハワイ、西洋中心の世界からすれば周縁とされる土地ばかりを歩んできた道行きにもよるものでもあるのでしょう。 詩人自身、土地を追われる度に、自らの存在や業績が体制によって抹消されかえりみられなくなってしまったことも、大きな要因としてあるのだと思います。しかし、いかに忘却の淵にある詩人の小さな言葉であろうとも、バチウの文学には、表立っては語られない時代の苦難に抗う人々の生を証する声が響いていました。またそこには、ルーマニアから、ブラジル、ラテンアメリカ諸国、ハワイに至る、各々の土地の政治・文化の歴史において、ミッシングリンクをつなぐような重要な関わりが記されてもいたのです。 詩誌『MELE 詩の国際便』 シュテファン・バチウは、あきらかに、一個の詩人以上の存在でした。土地々々の文学が互いに交差し結びあう十字路、結節点であり、さまざまな顔をもつ万華鏡のような多面体。それを体現する最たる仕事が、主宰した詩誌『MELE 詩の国際便』(MELE: International Poetry Letter)です。MELE(メレ)はハワイ語で「詩」や「歌」「祈り」をあらわす深みある言葉です。 バチウは、遍歴の生涯において出遭った数多くの詩の朋友たちに手紙を送り作品を募りました。詩や戯曲、写真、イラスト、個人的な私信など、数百名による多様な作品が、各地から海を越えてホノルルにいるバチウのもとへと届けられたのです。メキシコからはオクタビオ・パス、ブラジルのマヌエル・バンデイラやカルロス・ドゥルモン・ジ・アンドラージ、エクアドルのホルヘ・カレーラ・アンドラーデ、ニカラグアのパブロ・アントニオ・クアドラ、戦後キリスト教思想を牽引した詩人トマス・マートンなど、アメリカスの多様な詩人たちの詩が集いました。また、ウジェーヌ・イヨネスコやエミル・チオラン、ミルチャ・エリアーデ、アンドレイ・コドレスクなど祖国ルーマニアでは書くことの許されなかった、亡命作家たちも参加し、その郷愁の交わされる憩いの場ともなりました。 一方で、共産党の独裁体制下、政治囚として獄中に囚われた抵抗詩人たちの詩も、検閲を免れてハワイに届けられ、その声なき声をMELEに託していました。60年代当時、言語消滅の危機にあったハワイ語で書く数少ない詩人たちとも、MELEは詩を世に出す機会を分かち合い、彼、彼女らはその後、80年代以降に花開くハワイ語復興運動の原動力となっていきます。「ハワイ語の祖父」と渾名される詩人ラリー・カウアノエ・キムラや、古典ハワイ語を駆使し詩を書いたダリル・ケオラ・カバクンガン、そしてバチウの盟友であり、かつてディエゴ・リベラとともにメキシコ壁画運動の中核を担った壁画家ジャン・シャルロ。戦後ハワイに移り住めば、先住民文化を深く学び、壁画はおろかハワイ語による優れた戯曲まで残したこの稀有な芸術家も、ハワイ語やフランス語にて作品を寄せていました。 1965年~1993年、バチウがハワイにたどり着いて間もなくから、ホノルルにてこの世を去るまで続けられた「詩の国際便」MELEは、詩人の死後に編まれた追悼号まで含めて全部で90巻におよび、それぞれおよそ200〜300部の少部数発行で、50を超える国に差し出されていたといいます。その詩の共同体は、歴史の影に追いやられ虐げられた者たちの声なき声を拾い、響かせるものでもあったのです。国籍、人種、階級、性別、世代などの不要の壁はとりはらわれ、管理、支配、介入の斥けられた、自律的かつゆるやかなつながりが成されていました。 MELEは、詩人や作家たちが、歴史に翻弄されるなか、みずからの生きることの内奥にある物語を持ち寄った、希求の意志の交響体でした。近代史の災厄に押し潰された実存を生き延びるために、自らの魂を刻印するかのごとく筆を走らせるしかなかった詩人たちの、生きる様としての言葉。バチウの寛容さとおおらかさにみちた詩の連帯には、喪失の痛苦のなかに生をもとめる苛烈な声が渦巻き、他者との交わりを喜ぶ交歓の声が溶け合っていました。 詩の親密圏の〈世界文学〉 国家や民族の違い、遠く離れた土地と土地の物理的距離を越えて結びあうそのネットワークは、一つの〈世界文学〉とさえ呼べるような運動でした。ただし国家や民族、言語の境界を越えて流通する文学作品の市場経済について云々する世界文学とは、次元の異なる自律的圏域をMELEは顕しています。多数の読者には読まれずとも、人と人との間で交わされる詩の交感をベースにした贈与経済。国家や民族、資本の「大きさ」ではなく、人と人、ひとりひとりの信頼のうちに分かち合う「小さき場所」、そこからひろがる「詩の親密圏」こそが、何よりも確固たる「生きることの言葉」の砦でした。 一人ひとりがそれぞれの歴史をくぐり抜けながら言葉を紡ぐ。その言葉から拓かれる、複数多元の「世界」がMELEに集う。そのことが、この稀有の詩誌を〈世界文学〉と呼びうる由縁であるとも思います。シュテファン・バチウ、そしてMELEのあり方は、今日世界を覆っているこの暴力と悲寛容の連鎖にあい対する上で、大切なことを教えてはいないでしょうか。 阪本佳郎(さかもとよしろう) 1984年、大阪生まれ。2020年、東京外国語大学大学院博士後期課程修了(学術博士 PhD.)。詩人シュテファン・バチウの足跡を追って、ルーマニア(バベシュ・ボヤイ大学文学部客員研究員[2015年3月-9月])、スイス(チューリッヒ大学ロマンス語圏研究所客員研究員[2015年10月-2016年3月)、ハワイ(ハワイ大学マノア校伝記文学研究所客員研究員/皇太子明仁親王奨学生[2017-2019])と移動を続けて調査。バチウと親交を結んだ人々、詩人の愛した土地を訪ね歩き、「MELE:International Poetry Letter」をはじめ散逸した資料を収集。2018年バチウ生誕100周年の記念祭をホノルルと京都にて主催。バチウの足跡を辿る中で出遭った各地の詩人や作家、芸術家たちより作品を募ってできた詩誌「 MELE:ARCHIPELAGO」をバチウへのオマージュとして2019年に刊行した。2024年4月より立命館大学非常勤講師

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