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これらは愛と人生をつづる抒情詩であり、ベンガル語からわたし自身が英訳した。英語散文詩集『ギーターンジャリ』に収録した宗教的な作品群よりも前にあらわしたものである。英訳はかならずしも直訳ではなく、抄訳あるいは意訳されている。ラビンドラナート・タゴール
(本書「序文」より)
***
西の方からやって来た煉瓦職人とその妻は、煉瓦を焼く窯を作ろうと、土を掘るのに忙しい。
夫婦の小さな娘は、河辺りの船着き場へ行って鍋や食器を洗い、磨いて擦ってはきりのない仕事に精を出す。
小さな娘には丸坊主の幼い弟がいて、褐色の肌は丸裸で、手足は泥だらけだ。弟は姉の後を追って来るが、姉の言いつけを守って土手の上で辛抱強く待っている。
小さな娘は、水を満たした水甕を頭上に抱えて家へ戻る。左手に磨き上げた真鍮の器をぶらさげ、右手で幼い弟を支えてやる。娘は母の小さな召使いとして、こまごまとした家事を律儀にこなす。
ある日のこと、この裸ん坊が両足を投げ出して坐っているのがわたしの目に入った。
姉は水際で、一握りの土を手に、湯呑をぐるぐる回しながら擦っていた。
ほど近いところに柔らかい毛の子羊がいて、草を食んでいた。
子羊は幼い弟のすぐ傍まで来ると、突然メェーと大きな鳴き声をあげた。弟は飛び上がって泣いた。
すると娘は、磨いていた湯呑を放り出して土手を駆け上がった。
片腕に幼い弟を、もう一方の腕に子羊を抱いて、娘はどちらにも優しい愛撫を等しく分け与えた。動物と人の子は、愛の絆で結ばれた。
(詩篇77)
***
あなたは誰ですか。今から百年後にわたしの詩を読んでいるあなたは。
この豊かな春の富から花一輪も、彼方の雲に浮かぶ一筋の金色の輝きも、わたしはあなたに贈ることができません。
あなたの扉を開いて外を見てください。
花の咲き匂うあなたの庭から、百年前に消え去った花々の香り高い記憶を集めてください。
かつて生きる喜びが春の朝をうたった、その声が、百年の時を超えてあなたに届いて、あなたが心の喜びのままに感じ取ってくださいますように。
(詩篇85)
***
原書The Gardenerは1913年出版。85篇の散文詩を収録。
目 次
頁
序文
1
1 わたしに慈悲を……
5
2 詩人よ、夕暮れが迫っている……
8
3 朝、ぼくは海に網を……
10
4 いったいどうしてかれらは……
12
5 ぼくは落ち着かない……
16
6 飼い馴らされた鳥は……
18
7 お母さま、若い王子さまが……
20
8 寝台の傍のランプが消えたとき……
22
9 夜、独りわたしは恋人に……
24
10 花嫁さん、仕事をやめて……
26
11 そのままおいで……
28
12 きみの水甕をすぐに満たしたいなら……
30
13 ぼくは何も求めなかった……
32
14 わたしは理由もなく道を……
34
15 森の小暗いかげを……
36
16 手に手が重なり……
38
17 黄色い鳥が木の上で……
40
18 ふたりの姉妹が……
42
19 溢れるばかりの水甕を……
43
20 来る日も来る日も、その人は……
44
21 かれはなぜわが戸口を……
45
22 彼女が足早に通り過ぎたとき……
46
23 きみはなぜそこに坐って……
47
24 友よ、きみの心の秘密を……
48
25 こちらに来たまえ、若者よ……
49
26 お与えくださるものを……
50
27 たとえ悲しみを連れて来ようとも愛を……
52
28 あなたの、どこまでも知ろうとする目は……
54
29 わが愛する人よ、わたしに語ってください……
56
30 あなたは、わが夢の空を漂う夕暮れの……
57
31 わが心は荒野の鳥だ……
58
32 愛する人よ、これが全て真実かどうか……
59
33 愛しい人よ、あなたを愛します……
60
34 愛する人よ、黙って行かないで……
62
35 容易くあなたを知り尽くして……
64
36 彼は囁いた……
66
37 あなたの、瑞々しい花輪をわたしの……
67
38 愛する人よ、かつてあなたの詩人は……
68
39 わたしは朝からずっと花輪を……
69
40 あなたにお別れを言いに行くと……
70
41 どうしても言わなくてはならない心の……
72
42 気の狂れたものよ……
74
43 いや、友人たちよ、ぼくは苦行者に……
76
44 尊いおかた、ふたりの罪人を……
78
45 行かなければならない客には……
80
46 あなたはわたしを残して……
82
47 もしもあなたがそのように……
84
48 愛する人よ、あなたの甘美な縛りから……
85
49 ぼくは彼女の両手を取って……
86
50 愛の神よ、わが心は昼も夜もあなたに……
87
51 最後の歌をうたい終わって……
88
52 なぜランプは消えたのか……
89
53 どうしてあなたはぼくをちらりと見て……
90
54 市場が終わる夕暮れに……
92
55 あなたが立ち去ったのは……
94
56 わたしは、限りも無い家事に……
96
57 世界よ、ぼくはあなたの花を……
98
58 ある朝、花園で……
99
59 女性よ、あなたは神の作品であるだけでなく……
100
60 人生の慌ただしさと騒がしさのなかで……
101
61 わが心よ、平穏が別れの時を……
102
62 黄昏の夢の道を、前世でぼくの……
104
63 旅人よ、行かなければならないのか……
106
64 ぼくは一日じゅう、灼熱の土埃の道を……
108
65 また、あなたの呼び掛けなのか……
110
66 頭のおかしな男は流離いながら……
112
67 夕暮れがゆっくりと近づいて……
114
68 兄弟よ、永遠に生き続けるものはいない……
116
69 わたしは金の雄鹿を追い掛ける……
119
70 子どものときの一日を思い出す……
120
71 一日はまだ終わっていない……
121
72 厳しい労苦の日々を経て、わたしは……
124
73 無限の富はあなたのものではない……
126
74 世界の音楽ホールでは、簡素な草の葉が……
128
75 真夜中に、苦行者を志す人が言った……
129
76 寺院の門前に定期市が立った……
130
77 西の方からやって来た煉瓦職人とその妻は……
132
78 五月だった……
134
79 人間と、心があっても語る言葉を……
135
80 美しい女性よ、あなたはその一瞥で……
136
81 おまえはなぜ弱々しく、ぼくの耳に……
138
82 今夜は、ぼくらの死の戯れだ……
140
83 彼女は、丘のトウモロコシ畑の傍に……
142
84 緑と黄色の稲田の上を秋雲の影が走り……
145
85 あなたは誰ですか……
146
『庭師』と『ギーターンジャリ』をめぐって 訳者あとがきに代えて
151
ラビンドラナート・タゴール
[Rabindranath Tagore] (1861―1941)
英国統治下のインド・コルカタに生まれる。1913年、英語散文詩集『ギーターンジャリ 歌の捧げもの』によりノーベル文学賞を受賞。欧州以外で初のノーベル賞受賞であった。神秘的で純粋な詩精神にあふれ、愛と情熱のほとばしる詩や歌を母語ベンガル語で数多くあらわす。80年余の生涯をつうじてインドは苦難と混沌の時代にあり、人びとが真に自立の精神に覚醒することをねがった。
真実をもとめ理性にもとづいて果敢に行動する詩人であったことは重要である。人間の尊厳への透徹した眼差しをもち、きわめて知的で普遍的なヒューマニストであった。しばしばヒューマニズムの唱道者とも呼ばれる。
第一義的に詩人であり、同時に音楽家であった。ベンガルの村を遍歴するバウルの歌を愛し、歌はベンガルの心を代表すると考えて、その伝承旋律をしばしば自作歌にもちいた。インドとバングラデシュ両国の国歌はタゴールの作詩作曲である。
ベンガル語による詩集に『マノシ(心のひと)』『黄金の小舟』『束の間のもの』『渡し舟』『おさなご』『ギタンジョリ(ギーターンジャリ)』『渡り飛ぶ白鳥』『木の葉の皿』『シャナイ笛』など。小説に『ゴーラ』『家と世界』『最後の詩』『四つの章』ほか。多くの戯曲や舞踊劇があり、二千曲ともいわれる詩人の歌を集めた『歌詞集』がある。
注目すべき英語講演集に『サーダナー(生の実現)』(1912~13年米国での講演)と『人間の宗教』(1930年英国オックスフォード大学での連続講演)がある。
内山眞理子 [うちやま まりこ]
インド西ベンガル州シャンティニケトンにあるタゴールの大学ビッショ・バロティVisva-Bharati哲学研究科にてタゴールの思想を学ぶ。ベンガル語からのタゴール作品翻訳書として『もっとほんとうのこと』(段々社)、『ベンガルの苦行者』『お母さま』『わが黄金のベンガルよ』『ギーターンジャリ』(いずれも未知谷)、英語からの翻訳書に『迷い鳥たち』『三日月』(未知谷)ほか。著書にベンガルの吟遊詩人バウルを紹介した歌紀行『ベンガル夜想曲(愛の歌のありかへ)』(柘植書房新社)がある。