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こういうものを読む時。
こういうものをこそ売らなくてはと
本屋として思う。
なんという叫び声のその強度であり
密度だろう。
祈りとはなにか。
生命を祝福するとは
いかなる事柄なのかを
あきらかな形で示す言葉の群れがある。
力強く確かに紡がれる言葉
そう
言葉とはこのように生きることとして
現われうるのだと
それはなにかをうまく現わすとか
いわゆる自己を表現するなどという
チンケな物事を
悠に超える
言葉の繁茂である。
言葉の生える場所
詩の生えくる場所であることを
僕はうちから刊行した
恵那市の詩人
石原弦さんの詩集『聲』のあとがきに
書いた。
詩人とは望んで成るようなものではなく
詩の側がその場所を選び生えくる
その時空間としてのヒトであり
そのヒトこそが気づかぬうちにも
詩人という現象となっているのだ
それは詩集を何冊刊行しただとか
賞をもらったかなどという
瑣末な物事とは関係がなく
誰になにをもたらすかという
人間の関係における効果などすらも
それは本質的な問題ではないのだ
詩が
やってくる
生きた者のその身のうちに
詩が
やってくる
その確からしさは言葉を読めばわかる
それは書かれるべくして書かれた言葉であり
言葉はそのようにして生きるもの
生きることと言葉することとはそこで
一なる事象をなし
それをこそ
詩という言葉で呼ぶのだろう
いのちの芽が
生える時
いのちの芽はいつも
どこか遠くを
指差している
✳︎
1953年、大江満雄(1906-91)は、全国8つのハンセン病療養所の入所者73名の詩227篇からなる合同詩集を編んだ。詩人たちは、自らの境遇を「宿命」とするのではなく、生命の肯定、人間への愛惜、差別への抗議を、力強くうたった。戦後詩の記念碑、文庫として輝きを放つ。(解説=大江満雄・木村哲也)