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Māter/上田義彦

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サントリーウーロン茶の広告写真の写真集『いつでも夢を』を撮られた写真家の上田義彦さん。彼の『Māter』という写真集も入荷しています。Māterという言葉は、ラテン語で「母」、「源」などの意味の単語だそうです。 ⁡ 写真集を開く時、はじめの数枚でまず時間の静止、音の静止を感じます。おお。と思いながらその沈声、沈黙に導かれるように波立つものを見つめます。しーんと静まり返ったこの世ならざるような事物たちの光景。 ⁡ 小さな滝? 水が流れる。その様子を見てゆくと、ふいにあらわれる女性の体。そこから気づきます。ああそうか。渓谷の滝たち、その水の流れ、水しぶきも含めたその流体は、事物、イメージにおいて、母なる女性の体と対を成す。実際にそのようなかたちで女体と水の流れとが一対で提示されます。ミクロコスモスとマクロコスモスの照応関係を見つめるかのように彼は似た形、形態、形象の、女体と風景事物とを対比させてゆく。大いなるこの世の事物における母・源性と、人間、彼自身もまたそこから出産した割れ目、人間のなかの海、水、女体という母、その事物をともに見つめる。 ⁡ 水のもとを去り行くように閉じられてゆくこの写真集の最後にはもっとも明瞭な女体があらわになる。 ⁡ 去り行く体はどこかすこし名残惜しそうにも見える。源にい続けることはできないのだと諦めるように彼は人間の形態の側、人間である世の中のほうへと帰ってくるのかもしれない。 ⁡ 生きているものとして完璧にその母のうちに帰りきることはおそらくはできない。なぜならばそのみなもとから断ち切られることではじめて成立するのがこの人間個体という実存なのだから。けれども人は時にその出生を逆に辿る道をも歩む。帰路につく。そこではじめてそのみなもとにふれた体でふたたびあらたな世の中を生きることができる人間もいる。往来すること。そこに帰り、再び地上へ。人間であることを、生きようとする。 ⁡ 百瀬雄太

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