






父親も母親もそれぞれに実家に適切なという言葉が適切なのかはわからないがでも適切なという言い方がしたくなるそのような居場所、自らが自らとしてまるっと愛を享け生きられる環境が僕の父と母にはなかったのだと僕は解している。それが悪いとかいいとかを言いたいのではなくあくまでもただそれ自体がそうだったのだというその一種の事実、ニーチェは事実それ自体など存在せず、あるのはただ解釈だけだと語った、その意味では事実というのはあくまでもひとつひとつの解釈であり解に他ならないのだけど、その意味でのひとつの解釈として僕はそれらふたつの生命のありかを見ている。それぞれがそのように生きた事情を僕はすこしだけ知っている。しかしながら家族であれどのような身近な他生であれそのすべてをそれ自体として知ることはできようがない。彼らにはそれぞれの悲しみがありまた僕には僕の悲しみがある。そういうことでしかないのだとも言える。
原田宗典さんの小説を僕はまだひとつも読んだことがないにも拘らずにこの本を見かけた時にああこれは仕入れなくてはと思いすぐに仕入れた。おきざりにした悲しみはという題名の小説であり装幀には白いペンで歌うたいの肖像が後ろをこちらに向けて描かれている。眼鏡をかけたその男の人間ははたしてなにを歌う。後ろの帯文を読むとさらにこの小説が読みたくなる。おきざりにされた子供たちに向けて「おきざりにした悲しみは」を歌う歌手。しかしながら彼はそれを歌いきる。悲しみを癒すのは時に励ましの言葉ではなくそれ自体に寄り添うそれ自体の心の叫びである。悲しい時に悲しい歌を聴きたくなるのはそこで励ましやあかるさなどを超えてそれ自体が肯定されるからだ。響きあうものたちが寄り添いあうことでその、そこにおきざりにされたままにあり続ける悲しみたちが呼応し癒し合う。そうした不思議とも思える関係というものが確かにある。父と母もそうだったのだろうと僕には思える。共にそれぞれに岐阜と長野から逃亡し東京の地に降り立つふたりの人間が出逢う。愛を求め。そこには確かな愛もあった。僕は確かにそれを知っている。なぜ知っているのか。僕はふたりの間に生命を享け11歳まで彼らと共に暮らしそのふたりの愛情を確かに見た。それもまた事実であり解釈だろう。そうだ。認識とはそのようなものである。その身体に心においてこの世におけるなにが生きられたのか。それが認識を成す基盤である。だからただひとつの世界などはどこにもないのだ。それぞれの世界はそれぞれの身心のうちに生きられる。
おきざりにされた者などいないという言葉が裏にある。それぞれの希望が生まれ旅が続くからだと。確かにそうだ。おきざりにされたという言葉がもつその現在と断絶した過去性質を観るならば、そしてそのような断絶は実はなく過去すらもその旅路のさなかにおいて歌い続けるのだとすれば、ほんとうにおきざりにされたものはなくなるのだろう。そのような希望の持ち方がある。そしておきざりにした悲しみは歌うだろう。その生を謳歌するだろう。生き続けるかぎり。その可能性がつねに開かれ鳴るだろう。
百瀬雄太