


















【世菜さんの好きな本④】
田中美津『かけがえのない、大したことのない私』
あるいは、トーク「百年先の阿修羅たちへ」への覚書
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田中美津に出逢ったのは、
自分のzine『 #はなせなかった 』を書いていて、
にっちもさっちもいかなくなっていたときだった
私は『はなせなかった』を、
被害を訴えるだけの物語にはしたくなかった
既存の構造に乗ることでこぼれ落ちるものを含めた、
すべてを描きたかった
〆切を目前に行き詰まっていた時、この本に出逢った
「火を必要とする者は、手で掴む」
「世界は『野蛮』を待っている」
「啓蒙より共感、怒りより笑い」
目次を読んだだけで、
私が求めていたのはこの本だったと直感した
zine『はなせなかった』を書いた後、
一度、人から「やばい女」と呼ばれた
否定はしない
だけど私をそう呼んだその声には、
明らかな嫌悪と軽蔑を感じた
ミソジニーと呼び替えてもいい
あの人は、私の何を知っていたんだろう
自分こそはクリーンだと
誰も傷つけていないと思い込む"正しい"人間
それが「やばくない」なら、
私は「やばい女」でいい
田中美津のこの本を、もう一度、開く
ずっと前から生きていたのだと知る
およびでないものは笑い飛ばし、
時にゆらぎ、ぐらつきながらも
己の本音と矛盾を生き切った女たちが
百年前にも
百年先にも
きっと、「やばい女」は生きている
その火を、受け取る
過去と未来
その真ん中の 今
これは火のリレー
言葉遊びはしたくない
属性に閉じたいわけでもない
連帯より先に 己を見つめる
そこからしか始まらない
誰のものかわからない言葉には乗れない
生身を研ぎ澄まし、欺瞞を跳ね除けて、
ひたすら「私」の本音をさがす
たとえ修羅の道でも、偽善や冷笑よりは、
分からないことだらけの方がよっぽどまし
こわばらない 居直らない
見つめ返す 感じ続ける
力いっぱい、今日も遊び、暴れる
正しさからも
間違いからも
とおく離れた、もうひとつの虚構
それが私の真実だから
この世とあの世
善と悪
かなしさとおかしさ
怒りと赦し
あらゆる引き裂かれのあわいに
ままならない身体ごと存在するための最良の手引書
いつだって、一切は
「かけがえのない、大したことのない私」から始まる
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世菜
✳︎
『はなせなかった』は世菜さんのいちばん新しいzine。
21日(金)に催される予定にある世菜さんと庭文庫の実希によるトーク「百年先の阿修羅たちへ」の覚え書の文章でもあるようですこれは。
⇩
3月21日(金)
『 百年先の阿修羅たちへ 』
世菜×実希 クロストーク
世菜のzine『あなたを食べて生きてきた』
そしてそのレスポンスとして実希さんが書かれた
噂の新作『まじで肩パン』
女ふたり、爆ぜる生をめぐる対話
どんな対話になるやらね。
お楽しみに。
20、21日両日来てもいいのだよ。
お待ちしてます。
百瀬雄太