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23歳の頃、僕は、『歌わざるをえない人間たち』という本を書かなくてはと唐突に思った。それは電撃のようにふいに僕に訪れた。それ以来僕は、十数年かけてその本を書こうと努めた。
「歌わざるをえない人間」はまず、僕だった。僕は歌わなくては生きられなかった。死にそうだった。いやたぶん本当に歌わなくては生きられなかった。そういうふうでない人たちにはまるで理解されなかった。けど、本当に、そうだった。歌うことでどうにか死なずにいられた。生きのびることがぎりぎりできるそういう身体=心だったのだ。そのようになにかをせざるをえない、作らざるをえない、そういう人間が、この世には僕の他にも結構いた。けれどもやはり全体としてみればそういう人の生の真実は、あまりにもマイノリティであり、あまりにも語られず、あまりにも認知、理解がなされてはいなかった。現状は、今も変わらない。ゆえに僕は語り続けざるをえない。そのように作ることがどうしても不可避な人間たちがおり、それは生命の仕事として金銭の発生や職業的な問題などではなく、生きること、死なないためにどうしても必要とされる生の宿命的なる仕事なのだということ。
著者の荒井さんは、『まとまらない言葉を生きる』の著者である。彼のこの本は素晴らしい。庭文庫ではずうっと前から推し続けてきた。ちくま文庫入りし文庫版を入荷しました。ぜひ読んでみてもらいたい。そう思う。
東京は平川病院は僕の友人の家系の精神病院のようである。そこで行われている造形教室。生きることとまっすぐにつながる描くという営み。どうしても描かざるをえない人間もいる。僕もこの10年くらい絵も描いてきた。絵を描かざるをえない人間でもある。また僕は詩を書かざるをえなかったし小説も舞踏も造形もせざるをえなかった。どのような制作が必要となるのかはその人による。写真の場合もある。それぞれがどうしても大事とする行い。それがそれで商売になるのかどうなのかなどは実際のところどうでもよいことである。死なないために描く。生きるために描く。実際に描くことで生きられる。わかる人にはわかるがわからない人にはわからない。けれどもわからない人にも伝えなくてはいけない。それはそれがわからない人たちがすぐに「趣味ですか?プロですか?」という本質的ではない疑問を投げかけるからである。職種ではない。金儲けのためではない。ただ生きるために描かざるをえない人が、生命がいる。それによる深い癒しがある。荒井さんなりに調査し生身で書いている。読んでみてほしい。
百瀬雄太
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生きていく絵
——アートが人を〈癒す〉とき
荒井裕樹
ちくま文庫
990円税込
精神科病院・平川病院にひらかれた〈造形教室〉。ここでは心を病んだ人たちが、アートを通じて、自らを癒し、自らを支える活動をしている。絵を描くことで生きのび、描かれた絵に生かされている──。4人の作家の作品と人生をつぶさに見つめ、〈生〉のありかたを考え、〈生きにくさ〉の根源を照らしだす。こうした思索のなかで〈癒し〉の可能性をさぐる希望の書。解説 堀江敏幸
堀江敏幸氏、柴田元幸氏、川口有美子氏 推薦!
『まとまらない言葉を生きる』(柏書房)で反響を呼んだ気鋭の作家による初文庫!
〈生きにくさ〉の根源を照らし、〈癒し〉の可能性をさぐる希望の書
目次
はじまりの章
第1章 “癒し”とあゆむ(安彦講平)
第2章 “病い”をさらす(本木健)
第3章 “魂”をふちどる(実月)
第4章 “祈り”をちぎる(江中裕子)
第5章 “疼き”をほりおこす(杉本たまえ)
まとめの章
あとがき さりげなく、やわらかな言葉のために
人が人として〈生〉を実践していくうえで必要なことがらを示唆する存在の痛点。そこに触れる勇気が、紹介された人々と共有されているからこそ、全篇に、よい意味でのためらいをともなった明るさの兆しが見えるのではないだろうか
──
堀江敏幸さん
痛み、苦しみを前にしてアートに何ができるか。この問いを粘りづよく考える上で、芸術の力を過信せず、過度に期待もせず、けれど絶望もせず、シニカルにも ならず、ためらいがちの楽天を失わない、「期待」ではなく「希待」の姿勢に貫かれた本
──
柴田元幸さん
患者に固有の歴史があることを認め、個人に接近していくことで、どん底から這い上がるような「生きるだけでも精一杯」「肯定も否定もできない生」への共感を可能にしてしまった。読後の不思議な爽やかさはここからきている
──
川口有美子さん
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