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【世菜さんの好きな本】チッソは私であった/緒方正人

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問題の焦点や、原因結果と呼ばれる人間的思考の線描をどの点と点とに結ぶのかにより、ある出来事が起きた理由を、人は考える。ある事柄が起きた。起きてしまった。なぜ。問う。人は理由を知りたくもなる。なぜこんなにも酷いことをしたのか。司法の論理でならば、ある意味ではそこは、簡単なことにもなる。殺害動機。正常な意識や理性があったのかまたないのか。人は因果を結び理由を探す。ある意味ではそれはいつでも虚偽だ。なぜならば人間が因果関係を結ぶところの原因と結果なる点描とはまさに、ある個人がそこに置いた点、恣意的な点描の制作に他ならないからだ。私が誰かを殺したくなるだから殺したとする。ではなぜ私は誰かを殺したくなる、なった、どうすればならなかった、どうしてその人を殺し別の人ではなかった、どうしてそのような凶器で。…ひとまずの説明といえるものを納得がいくだろうかたちでつけることもできる。どうしてあの子は死んだ。他でもなくあの子が。人は受け容れようとする。理由を探す。物語を紡ぐ。納得がいくように。描き出す。形にする。出来事の因果を超えたところを結び、閉じる。そうすることでどうにか心の安定を取り戻す。念に言語的なる思考を与える。問題はどこにある。問いかける。 ⁡ 加害と被害という一対の関係は、わかりやすい。あいつがまさに悪いことをした。その害をこちらが被った。簡単である。バカでもできる。むしろバカにならないとできない。そしてバカになるのも悪くはない。あいつが悪い。こちらは悪くない。あいつが原因だ。簡単である。ブチギレる。おまえのせいだとキレる。責める。怒る。線描としては簡単である。 ⁡ だが。ほんとうにそうなのかと問う人もいる。悪いのはあのチッソという会社だけなのか。その行いをしたのは誰か。責任主体は誰なのか。どこにある。 ⁡ 問う。問いはじめると気づく。この世のどのような出来事にも実のところ本質的絶対的なる原因なる点描など、置けないことに気づく。もちろん誰かの行為により怒りが生じキレることもある。だがほんとうに?悪いのはそいつか?そいつかそうした原因もあればそうせざるをえなかった原因もないのか?親か?親の親まで遡るのか?資本主義か?経済合理性か?悪意か?なぜならば悪意が生じた?子どもの頃にさびしかったからか?どうしても愛を欲したからか?どうしたら避けられた?どうしたら繰り返さない? ⁡ 簡単にはいかない。何事もそうだ。 ⁡ なぜならば因果は容易にいくらでも引ける線描だからだ。なぜある時にそこにその風が吹いた。どうして私はその時そのように行動した。すべて説明はできたとしても、その説明は無尽にある現象この世の極小の瞬間の創造連鎖にまでも遡ればもうなにも原因など言えはしない。 ⁡ 公害であれ性加害であれモラハラであれなんであれ。だがそれでもじゃあおっけーとは容易にもならない。傷はついたのだ。そこで考える。苦しみながらも考える。あいつが悪いのか、あいつらが悪いのか、社会が悪いのか、世界が悪いのか、悪いとはなにか、善いとはなにか。加害とはなにか。誰かが一方的にだけやれる行いなどあるのか。世界は切り離された二項では成り立たないのに。 ⁡ 考える。考える。生きて考え思う。それぞれの思考が形を成す。巨きな視界に出る。相手ばかりではなかった。この世の一部として私もまたそれでありえる。ありえた。ある。自分が善人だとどうして言える。なにかを殺している。なにかを捨てている。そんなに綺麗なものではない。自分の加害性を認めることで加害者を許せる。なぜならばそれは世界の問題だから、私もその一部だからと思い結ぶ思考もある。どのように結ぶのか。結んだのか。どのような救済がそこに起きたのか。それは唯一である。それぞれの解決。それぞれの解答。解放。解法。 ⁡ 複雑に生きる。バカになれない。それもまた人間の魅力であり、愚かな点でもある。どうしようもなく苦しむ。一息に殺せない。ゆえに想像する。思う。考えるのだ。 ⁡ ほんとうにそいつが、悪いのか? 考えるのだ。 ⁡ 原因は置ける。だが真に原因などは置けない。僕はそのように思う。本当に悪いものがある。ない。矛盾する。点を置き線を引くのも評価するのも人間個人。それぞれが結ぶ視界。言葉の風景。なにを愛す。 ⁡ 百瀬雄太 ⁡ ✳︎ ⁡ チッソは私であった 水俣病の思想 緒方 正人 著 河出文庫 1210円税込 ⁡ 水俣病患者認定運動の最前線で闘った緒方は、なぜ、認定申請を取り下げ、加害者を赦したのか? 水俣病を「文明の罪」として背負い直した先に浮かび上がる真の救済を描いた伝説的名著、待望の文庫化。 ⁡ ✳︎ ⁡ 春光呪詛。世菜さんの好きな本。

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