













虫に成り描く人もいれば、獣、猫のよに爪で引っ掻き、掻くことで描く人もいるし、水底から湧き立つ風になりながら揺蕩い描く、覇気のなかで身を屹立させるように書く、…おなじ書くや描くや掻くでも、様々だ。土方巽のように鼬に成る、大野一雄のように花になる、風景に成り絵を描く画家もいる。何かに成る。何かに成るということは、今生きているこの私の外に出ることで、その私とは異なる他生にふれ、共にふるえ、溶け合い、混ざり合うことで、私が非私と混合、交合する、巨きな意味での生殖行為的なもの、恋愛的な営みである。その私とは異なるAやBやCという事物や存在者たちや、それから、ABなどと項に置くことが可能なもの以前にある、無いものと交わりながら描くことや書くこともできるものだ。その都度「現実」は異なりをみせる。「現実」とはただひとつきりのものじゃない。あるAという「現実」とはあるAさんがその時に生きる「現実A」にほかならない。Bさんは「現実B」を生きるしCも同じだ。そしてそのひとつずつはでも決まったひとつなのでもない。Aは「現実A」や「現実A'」「現実A''」を生きるように変わることが、できる。生成変化することで。生は一しかない現実を生きるのでなく常に変わりながら変わりつつある様々なる現実をまさに現実と化しながら生きる。ゆえに現実とはその私自身の変容の数だけその私に存在しうる。なぜならばまさに現実とは私と一対に産まれるものだからだ。世界がその現実だけしかないのではないのだ。世界は潜在性から顕在化し、その都度その私の現実がそこに生きられる。世界はその意味では多尽であり無尽である。ある現実が苦しいのならばその他の現実へと出る。そのようにして生き延びることや死なないでいることができる。art、作ることはまさにそのようにして自らを作り変え、すなわちみずからの現実をも作り変える。
瀀さんの好きな本。
百瀬雄太
✳︎
私たちが「現実」だと思って縛られているものから自由になる! 17歳のときに、98歳で死期を迎える自分を設定して楽になった話。「脳の誤作動」である鬱状態に陥ったらどうするか。「半現実」のつくりかた、など目の前の「現実」が違って見え、驚きの世界を体験できる本。文庫化にあたり、最終章「現実創造論」を書き下ろし、さらに健康になる具体的な方法を伝授。
解説 安藤礼二
目次
第1章 疑問の萌芽
第2章 語り得ない知覚たち
第3章 時間と空間
第4章 躁鬱が教えてくれたこと
第5章 ノックの音が聞こえたら
第6章 だから人は創造し続ける
第7章 現実創造論―文庫版のための書き下ろし